二人の名前は、建築に携わる人なら一度は聞いた事があるでしょう。1970年代半ばから活動を続けてきた、ベテラン建築家です。
一見、地域もスタイルも違って見える二人ですが、時を重ねて味わいを増した代表作を振り返ると、共通のキーワードが浮かんできます。
それは何か。新たに撮り下ろした建築写真や、建築家自身および趙海光、松隈洋といった論客の筆によって解き明かします。
いまや9坪ハウスの元祖と言ったほうが分かり易いかもしれません。
戦後モダニズムの代表的建築家・増沢洵が設計した数々の住宅は、いまなお新鮮な輝きを放ち続けています。
その清々しいデザインの秘密に、技術的な側面から迫ると同時に、増沢洵の遺志を継いだご子息・増沢幸尋氏の作品も紹介します。
まちの景観は、そして建築は誰のものなのか。この永遠のテーマに応えるべく始まった新シリーズの第1回目。
都内有数の学園都市のシンボルとしてまちを見守り続けてきたJR国立駅舎が、路線の高架化を理由に解体されました。いまなお部材は保存されているものの、将来どのように再生されるかは決まっていません。
まちを愛する誰からも祝福される駅舎再生の方法はないのか。このまちに住む一建築家からの提案を、ここに収録しました。

第1特集「場所づくりで対比的な存在である二人の建築家 阿部勤/吉村篤一」より。「松ヶ崎の家―自邸」(設計=吉村篤一、写真=大橋富夫)の紹介誌面。
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阿部勤(あべ・つとむ)略歴
1936年東京都に生まれる。1960年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所入所。1975年室伏次郎とともにアルテック建築研究所設立。1984年アルテック設立。現在日本大学芸術学部非常勤講師。
吉村篤一(よしむら・とくいち)略歴
1940年京都府に生まれる。1963年京都工芸繊維大学工芸学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所大阪支所入所。1975年建築環境研究所設立。1977年まで京都工芸繊維大学、京都府立大学、近畿大学非常勤講師。2006年京都精華大学、京都女子大学非常勤講師。
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